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ここからの画像は撮影原寸大画像にリンクされていますのでクリックしていただければ細部まで拡大してみることができます。

エントランス部

入館料 一般 \500
高校生 \300
小中学生 \200

人出は多すぎず少なすぎず・・・といったところでちょうどいい。
展示品の写真撮影は撮影禁止のマークがついているもの(遺書や手紙、写真など個人からの貸与、寄贈されたと思われるものが多い)以外は撮影OKだが、三脚、一脚およびフラッシュの使用は禁止されている。

展示室にはいるといきなりこのミュージアムの目玉、戦艦大和の10分の1スケールの模型がドンと鎮座している。1階のフロアレベルが丁度大和の吃水線にあたる。したがって水面下の部分は床を一段掘り下げてある。艦首を北(エントランス側)艦尾を南(海側)へむけておいてある。実物の10分の1なので約26m。3階まで吹き抜けの大きな展示室だ。

(DATA)ISO:250 F:5.0 S:1/60
室内なので手振れをおこさないぎりぎりのS:1/60。あとは感度をあげるしかない。

この1/10大和展示室の最大の難関は、南面(艦尾側)にある3階までぶっ通しの巨大なガラスのカーテンウォールだ。自然光を取り入れ、室内を明るくしてくれるこのカーテンウォール。人の目でみるぶんには非常に好ましいのだが、写真を撮るとなると事情がかわってくる。正面(艦首)側から写真を撮ると、モロ逆光なのだ。

(DATA)ISO:100 F:5.6 S:1/60

この状態ですでに背後の明るい部分は白トビをおこしている。

白トビは覚悟の上でも 三脚、フラッシュの使用は禁止されているのでこれ以上シャッタースピードを落とすわけにはいかない。となるとISO感度をあげるしかないが、それでは画質が保障されない。
どーすりゃいいんだ?ドラえも〜ん!!

♪ちゃららちゃっちゃちゃ〜ん♪

Dライティング〜!

キャノンならライティングオプティマイザーとよばれている機能で、明るい部分はそのままで暗い部分のみをうまく補正してくれる。

←早速Dライティング ON!
v(^o^)vやったね!ドラえもん!

前部 1,2番主砲塔
45口径46cm(18インチ)3連装 最大射程 42,000m
このほか後部にもう一基 3番主砲塔があり計9(3x3)門の46cm砲を搭載していた。

大和といえばその大きさが取り沙汰されるが、軍艦は大きくなればなるほど運動性能が悪くなり敵弾の命中確率が高くなる。したがって逆に46cm砲を9門搭載した艦としてよくぞここまでコンパクトに仕上げたというほうが驚異に値する。

46cm(18インチ)主砲弾

左(白)91式徹甲弾(長2m,重1.46t)
対艦用砲弾。遅延信管により敵艦の装甲を貫通した後に起爆する。

右(赤)3式弾(長1.6m,重1.36t)
対空用砲弾。時限信管により敵編隊の前面で炸裂し弾子を放出する榴散弾。
しかし当時の技術では遠方の飛行編隊に対しての命中度が低く、米軍の資料によればこの3式弾による被害はほとんどなかったと報告されている。
被弾範囲が広いことから対地攻撃用にも使用された。

艦橋
2番主砲塔の後ろが副砲塔(15.5cm3連装)後部にもう1基ある。
竣工時はこの副砲塔は艦橋左右にもう1基づつ計4基あったが、レイテ沖海戦(S19.10)直前に左右の副砲は撤去され代わりに対空用12.7cm連装高角砲6基に換装されている。
その後対空兵装は強化され竣工時わずか8基だった25mm3連装機銃は最終的には52基まで増設されている。
映画「男たちの大和」で松山ケンイチや中村獅童の戦闘配置がこのあたりの機銃座だと思う。

艦橋後部
舷側から張り出すように多数設置された25mm3連装機銃群が印象的だ。主砲発射時の爆風よけの防循で囲われている。この爆風よけのない裸の機銃座員は主砲発射時には艦内に退避しなければならなかった。

前方のバルバスバウ(球状船首)の前にカメラを構えている若い女性が写っているが、このミュージアムの来訪者には若い人の姿が多かったことも少し意外だった。(中には独りで来ていると思われる若い女性もあった。)

艦橋上部(後方)
艦橋上部で腕を広げるように左右に開いているのが15.5m測距儀。射撃目標との距離を三角測量により計測する。当然左右の距離がはなれていればいるほど正確に計測できる。この15.5mの測距儀は世界最大のものであった。ちなみにこの測距儀は当時の日本光学(現ニコン)が製作した。
その上の缶詰の缶のような円筒が主砲方位盤射撃指揮所。方位盤射手と旋回手によって照準された緒データは射撃盤(歯車式計算機)に電送され計算結果が各砲塔に伝達される。砲の照準が合うと電路が通じ方位盤射手が引き金を引くといっせいに発射される。

艦橋全容

高さ40m。中央にはエレベーターも設置されていた。天一号作戦(沖縄特攻)で大和が沈む時には左舷に集中した米軍の魚雷により艦が大きく左に傾斜、最終的にはこの艦橋上部が水面すれすれまで倒れ転覆した。
横倒しになった大和は砲弾庫の大爆発をおこし中央から2つにおれ水中に没した。今でも多くの将兵とともに海底にある。

大和爆発時の爆煙(米軍撮影):写真出展フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

煙突

敵弾が煙突内に飛び込み、艦内で爆発することを防ぐため蜂の巣状の穴があいた厚さ300mmの鋼板で防御されていた。
大和が横転した際、付近を泳いでいた兵員が大量の海水共々この煙突内に吸いこまれたという生存者の証言もある。

船尾

3番主砲塔、零式水上観測機、カタパルト、一段下がって内火艇庫、クレーンなどが写っている。
着弾観測のための航空機は最大8機(カタパルト上2+格納庫6)まで搭載できる。格納庫からとりだされた航空機はクレーンでカタパルト上に設置され射出される。帰艦時は付近の水上に着水し、クレーンによって艦上に吊り上げ回収される。

後部からの撮影はカーテンウォールからさし込む光で撮りやすい。

設計図

膨大な枚数であったろうと推測される大和型戦艦の設計図はほとんど現存せず貴重な一枚。

薄暗い展示室のなかでも最も暗い場所に額にはいって掲示されているこの設計図。撮影禁止のマークはついていなかったので撮影したが、三脚、フラッシュ使用禁止の環境では実質撮影は無理。この写真は画像編集ソフトで明るさを調整してある。


撮影生画像

次は「零戦」「回天」などが展示してある大型資料展示室へ移動します。
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